レオナルド・ダ・ヴィンチといえば、誰もが知る万能の天才だ。有名なのは『モナ・リザ』『最後の晩餐』などの絵画で、1974年に東京で「モナ・リザ展」が開かれたときには、150万人以上の人が見に来て、これは美術展の単館入場者数の日本記録だそうだ。画家以外にも、科学者、発明家、建築家、解剖学者、音楽家、数学者、植物学者、地質学者、天文学者……など、すべてリストアップするのも難しいほど多数の分野で活躍している。
5000枚もの手稿が残されていて、素晴らしい知見がたくさん記されているのだが、じつは愚痴も書いてある。天才も愚痴るのだ。
たとえば「私が学者でないから、ある威張り屋は私のことを文字を知らぬ人間だと断ずればそれだけで私をもっともらしく非難できるとお考えのようである」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』上巻 杉浦明平訳 岩波文庫)。ダ・ヴィンチは非嫡出子で、差別され、当時の知識階級なら当然習うラテン語も習えなかった。家具でも馬具でもなんでも作る工房で13歳から職人として働き、そこで絵を描くようになった。しかし、平均寿命が50歳前後の当時に、30歳近くになっても、チャンスをつかめなかった。「『幸福』が来たら、躊(ため)らわず前髪をつかめ、うしろは禿げているからね」(同前)もダ・ヴィンチの言葉だが、当人はつかみそこねていたのだ。
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