しかし、この炭酸水の歴史を今によみがえらせた人がいる。笠置町生まれの有田香津代さんだ。笠置保育所の所長を経て、2016年59歳で退職し、当時の町長が発起人の「まちづくり会社」の設立に加わった。
「何か笠置町の役に立ちたいと思って」
町と商工会や観光協会、住民有志が出資した。有田さんは町への強い思いを持って、当時の地域おこし協力隊のメンバーらと共に空き店舗を借り、自分たちの手で改装した。
サイダー復刻のきっかけは、有田さんの記憶からだった。
「私が子供のころ、80歳前後の住民が『昔、砂糖を持って炭酸が湧く川原に行った』って聞いてたんです」
ラベルで差別化…特産品として10年続く商品に
湧き出る炭酸水に砂糖を溶かして飲んでいたという話をヒントに、有田さんたちは町おこしの商品を作ろうと決めた。サイダーの製造は兵庫県の工場に委託。中身は市販のサイダーと変わらない。差別化したのは、ラベルだ。
明治時代の発売当時のラベルを忠実に再現した。中央には、当時の湧出地を写したセピア色の写真が収まる。資金は京都府の補助金を活用し、半年ほどで最初の500本ができあがった。
「飛ぶように売れたというわけではないけど、特産品として形になりました」
それから10年。年間およそ1400本が作り続けられている。事業としては決して大きな数字ではない。それでも一度も途切れることなく、キャンプ場近くの店や南山城の道の駅、駅前カフェに並び続けている。
有田さんはまちづくり会社を3年で退任したが、現在は子ども食堂や、空き家を改装した居場所「ホーム」を運営し、自分にできることを探し続けている。


※ログイン後、コメント入力が可能です。