実在の料理人たちが腕を競うこの番組、日本でも韓流ファンの間で評判を呼んだ。韓国のドラマなどになにか料理が出てくると、新大久保で食べられる場所はないかファンはチェックする。その需要に応えるように店を出す。SNS専門の社員を雇用している店もけっこうあるそうだ。
とはいっても、商売はそう簡単ではない。
「韓国で売れているからといって、必ず成功するわけじゃない。人気のチェーン店を持ってきても、うまくいかなかったこともあります」
たとえお客が入っても、「韓流の聖地」となった新大久保の家賃はきわめて高い。一部は銀座並みといわれる。そうなると、どれだけ売れてもあまり儲けが出ないこともある。
また、いまの韓流ブームの主役は10代の女性だ。中高生も多いから、どうしても客単価は低くなる。そのため、リーズナブルな食べ放題や飲み放題の店も増えているのだが、それは結果として町全体の売り上げの低下につながりはしないか……そんなジレンマも抱える。賑わいの裏では、なかなかにシビアな現実がある。
「次に流行りそうなメニューですか? いや、それがいちばん難しい。わかれば苦労はありません(笑)」
韓国の店が、数軒しかなかった1985年
鄭さんは釜山に生まれた。植民地時代に、日本人コミュニティがあった地域だった。
「近くに日本領事館もあって、畳のある家も残っていて。だから日本はすごく身近でした。当時は日本のほうがずっと経済的に豊かだったし、憧れがありましたね」
そんな気持ちから、大学では日本語学科に入った。卒業後に選んだのは日本への留学。後押ししたのは、1983年に中曽根康弘首相の提唱のもと始まった「留学生10万人計画」だ。日本の教育機関では、留学生の受け入れ拡充が進められ、ビザの取得もしやすくなった。
一方の韓国では、まだ海外旅行は完全に自由化されていなかったが、国費留学生を中心に、政府の許可を得て海外へと学びに出る若者たちが増えつつあった。そんな波の中に、鄭さんもいた。


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