そのとき、私は気づきました。社員が幸せそうにしている場所を、自分が作っている。北区の刺しゅう屋という仕事が、誰かの昼ごはんの時間になっている。売り上げとはまったく別の形で、満たされる感覚がありました。
幸せな空気は、金額には出ません。でも、社員が楽しそうに働いている場所には、お客様もなぜかまた来たくなります。
自分の仕事が、どんな時間を生んでいるか。誰かが笑ってごはんを食べられる場所になっているか。そこまで見えたとき、私はここに自分の居場所が作れたのだと感じました。
AIは「かわいい」を超えられない
AIの話がよく出ます。ホワイトカラーの仕事はAIに代替される。エクセルも、資料作成も、議事録も、AIのほうが速い。自分の仕事は5年後に残っているのか。そう感じている方は、多いと思います。外銀のころ、私がやっていた仕事の多くは、その不安に正直に答えられない種類の仕事でした。速さと正確さで価値が決まる仕事は、その戦いでAIに勝てません。
では、残る仕事は何か。私は、チキン南蛮を5人で囲みながら、その答えを少し見た気がしました。
AIはチキン南蛮のレシピを出せます。栄養価も計算できます。でも、あの日誰が作ってくれたのか、どんな空気で食べたのか、そのあと誰がどんな顔でミシンの前に戻ったのか。そこまでは持っていません。
「帰りを待つわんこ」を刺しゅうしたとき、私は飼い主の帰りを待つ犬の時間を、全身で想像していました。
その想像は、私の生活の中からしか出てこないものでした。コメントをくれた方が心を動かしてくれたのも、ご自身の生活の中に「待っている犬」の時間があったからです。作り手の生活と、受け取り手の生活が、刺しゅうの上で重なる。その温度は、AIには生み出せません。
生活が入った仕事は、自分にしか作れない仕事になります。それはAIにも、流行にも、けっこう強い。置き換えられにくいのは「仕事」そのものではなく、自分の生活が入っているかどうかです。その仕事は、いつでも、今から始められます。


