このままでは手遅れになる。銀行員のままでいると、自分の人生を諦めることになりはしないか。そんな焦りが高まり、次の日にはもう辞表を出していた。
もともと、半年ほどの期間で一流大学に受かるほどの学力を身に付け、銀行でも器用に仕事をこなしていた。「正直、仕事は自分に合っていた」と神条さんは話す。だからこそ、いきなり辞表を出すと上司や人事もかなり驚いていたという。結果、退職まで半年ほどかかったが、それより大変だったのが両親だ。
「両親には事後報告でしたね。最初は、父が特に怒っていました。ものすごく怒って、最後はがっかりしたような様子で『お前のことは、もう諦めた』と。勘当状態みたいになってしまいました」
フリーター生活→政治家秘書、そして屋台のマスターへ
とはいえ、ようやく取り戻した「自分の人生」。何よりも好きな「予定を入れず、ボーっとすること」、そして詩を書くことなどを生活の中心に据えて、再び都内に戻ってフリーター生活を始めた。
住んでいたのは、「路上生活に毛が生えたか、抜けたくらい」だったというアパートだ。都心にありながら家賃2万円以下で、風呂なし、トイレも共同。それでも、アルバイトで最低限の生活費を稼いで、公園でビールを飲み、葉巻を吸ってボーっとする毎日は何にも代えがたい日々となった。
しかし、自身が「執行猶予みたいな感覚だった」と表現する生活にも終わりが来てしまう。銀行員時代の貯金も尽きてきて30歳を目前にしたタイミングで、ふと「このままでは人生を棒に振ってしまうかもしれない」という焦りに襲われた。座ってビールを飲んでいたSL広場から駅に駆け込み、切符を買って地元へと向かった。
「両親の期待を裏切って、自由気ままに生きてきた自覚はありました。『家に置いてくれ』と言っても、叩き出されると覚悟していました。でも、母どころか父も受け入れてくれたんです」

