戦後歴史に翻弄された台湾老兵たち
約20年前、筆者が台湾へ留学していた際、台湾老兵の歴史を伝える活動をしていた許昭栄(1928~2008年)さんと出会った。(許昭栄さんについては「ある台湾老兵の激動の人生、日本へ伝えたかったそのメッセージとは? 日本兵・国民党兵・政治受難、知られざる血涙の物語」を参照)
中でも「戦争が終わった後の台湾の苦難を、日本の若い世代に伝えてほしい」という許さんの言葉は大きな衝撃だった。台湾出身者が日本兵として戦った事実は漠然と知っていたものの、彼らが戦後、どのような歴史に翻弄され、人生を歩んだのかについては、ほとんど知らなかったためである。
その後、活動を通じて前出の廖淑霞さんや呉正男さんと出会うことになる。戦後、台湾は日本統治から中華民国政府による統治へと移行した。それまで日本語で教育を受け、日本人として生きてきた人々は、戦後は国籍や言語、社会環境だけでなく、歴史の見方そのものが大きく変化する時代を迎えた。(廖淑霞さんについては「『せめて台湾出身の従軍看護婦がいたことを忘れないでほしい』最後の従軍看護婦・廖淑霞さんの人生」を参照)
例えば、彼らが当時「大東亜戦争」と教えられ参加した「あの戦争」は、戦後の日本では一般に「太平洋戦争」と呼ばれるようになった。戦争そのものだけでなく、その意味づけや語られ方もまた大きく変化したのである。
元日本軍関係者の中には、戦後台湾社会で複雑な立場に置かれた人もいた。さらに72年、日本と台湾(中華民国)の正式な国交がなくなったことも、台湾出身元日本兵・軍属をめぐる問題をより複雑にした。
74年にはインドネシア・モロタイ島で「中村輝夫」と名乗る台湾出身元日本兵が発見された。終戦から約30年後の出来事だったが、本人が知らない間に日本国籍を失っていたのだ。戦前の「日本兵」という記録と、戦後の法的な立場との間で彼は再び歴史に翻弄されることになった。
戦争は45年に終わった。しかし、台湾老兵の戦後は終わらなかった。その激動の時代を生き抜いた1人がまさしく、元日本兵だった呉正男さんなのである。

