「せめて台湾出身の従軍看護婦がいたことを忘れないでほしい」 最後の従軍看護婦・廖淑霞さんの人生
2026年2月10日、台湾出身で最後の元日本赤十字「従軍看護婦」、廖淑霞(りょう・しゅくか)さんが98歳でこの世を去った。第2次世界大戦時、台湾では「男は志願兵、女は従軍看護婦」の大号令の下、約20万人の若者が戦地に赴き、約3万人が犠牲となった。(編集注:本文では当時の名称だった「従軍看護婦」と表記する)
戦後、一部の台湾人元日本兵は強制的に中華民国軍に徴用、中国大陸の国共内戦に投入され、さらに中国大陸で捕虜となった者の中には朝鮮戦争(1950~53年)に中国の義勇軍として参加させられるなど悲劇に見舞われた。
台湾が民主化した1990年代以降、ようやく台湾老兵・軍属たちの活動が始まる。長年の戦いは結実し、2016年には蔡英文総統(当時)が台湾南部・高雄市にある台湾初の戦争と平和をテーマにした施設「戦争と和平記念公園」を公式訪問した。
台湾に生まれ「日赤従軍看護婦」に志願
当日、犠牲者に哀悼の祈りが捧げられ、旧日本軍及び軍属の台湾人に光が当てられた。しかし、命がけで尽くしたかつての祖国であるはずの祖国であるはずの日本では、多くの人々の記憶に刻まれなかった。
「せめて自分たちの存在を忘れないでほしい」。廖さんは亡くなる直前まで、日本の首相に書簡を送り、自身の体験をつづった書籍の作成に奔走していた。
廖淑霞さんは1927年(昭和2年)台湾中部・台中市に生まれた。39年(昭和14年)に父の仕事の関係で上海の日本租界へ移り、上海女子商業学校を卒業。44年(昭和19年)に日本赤十字社「従軍看護婦」へ志願した。




















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