「せめて台湾出身の従軍看護婦がいたことを忘れないでほしい」 最後の従軍看護婦・廖淑霞さんの人生
しかし、日本政府は戦後の物価上昇分を十分に反映せず、1952年の沖縄返還方式と同じ120倍とした。かつての祖国は、あまりにも冷淡だった。
中には従軍慰安婦と誤認した資料提供依頼などもあり、廖さんはその憤りもつねに語っていた。筆者が廖さんからいただいた手紙には「お金の問題ではない。日本のために命がけで頑張った自分たちの存在を忘れてほしくない」との切実な思いがしたためられていた。
新型コロナウイルス感染症が収束し、日本と台湾の往来が戻った2023年、思いを実現すべく95歳を過ぎた廖淑霞さんの最後の奮闘が始まった。
同年6月、沖縄慰霊の日の式典に参加。当時の岸田文雄首相への書簡を携えての来日だった。書簡は手を尽くして、首相のもとに届けることができた。
そして26年2月初旬、自伝『白衣天使的未竟戰爭』(白衣の天使の終わらない戦争)が書籍化までこぎつけた。製本は入院中の廖さんに届けられたが、2月10日に帰らぬ人となった。
慰霊碑建立、戦没者追悼集会への参加はかなわず
廖さんは日本での自伝出版をも望んでいたが、まだ具体的な計画もない段階にある。また台湾での台湾出身元日本軍及び軍属の慰霊碑建立や、日本政府主催の戦没者追悼集会への参加の夢は最後まで叶わなかった。
現在、史上最高とも言われる日本と台湾の友好関係が謳われているが、台湾出身の元日本軍及び軍属の方々のほとんどが鬼籍に入っている。日本国民は彼らの存在を忘れてはいけないのではないだろうか。
最後に、廖さんが23年に首相に届けた書簡の全文を掲載する。実は筆者がメッセンジャー役を担った。廖さんの等身大の思いをここに共有したく思う。




















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