「せめて台湾出身の従軍看護婦がいたことを忘れないでほしい」 最後の従軍看護婦・廖淑霞さんの人生
日本国総理大臣 岸田文雄 殿
陳 情 書
私たち台湾人は先の大戦で日本国及び日本国民の生命と財産を守るため、日本軍軍人、軍属、従軍看護婦として戦地に赴きました。異国で戦死した者は3万人を超え、九死に一生を得て帰還した者も戦後、国民党政府に「逆賊」扱いされ、大変肩身の狭い思いをしてきました。戦後78年が経とうとしている今日、われわれ戦争当事者は極少数の者を除いてすで鬼籍に入りました。
当時、台湾では「男は志願兵、女は従軍看護婦」の大号令の下、皇民化教育を受けた多くの者が尽忠報国を実践すべく、潔く「志願」したものでした。私も上海日本女子商業学校を卒業した後、1944年に従軍看護婦に志願し、短い訓練を受けたのちに、上海の陸軍病院に配属され、激しい空襲のなか、命を顧みずに負傷兵をいとねんごろに看護してきました。
私たちは日本人としてお国のために戦ったにもかかわらず、戦後は非情にも日本国籍を喪失したという理由だけで除外され、援護法や恩給法の定めるところの補償を受けられずに大変な苦痛を受けました。さらには、戦時中の給料は未払い、軍事郵便等の財産はすべて凍結され、半世紀を経た2000年にようやく軍事郵便貯金の返済が可能になったものの、日本政府が一方的に決めた120倍という換算レートで処理されました。
これは沖縄方式と呼ばれ、1952年に沖縄出身者に用いられたレートと同じです。私たちは当時大いに憤慨し、抗議の声を上げましたが、その苦痛の叫びが聞き入られることはありませんでした。
50年以上待たされて、ようやく手にした貯金は当時の日本の公務員の半月分の給料にすらなりませんでした。この屈辱は言葉では言い表すことはできませんし、今でも当時のことを思い出すと怒りで腸が煮えかえる思いです。
戦後78年が過ぎ、先の戦争の記憶も急速に風化が進んでいます。私たちは別にお金が欲しいわけでも、日本政府に謝罪を求めているわけでもありません。
ただ、同じく日本人として戦火をくぐり抜けてきた者として、平等に扱っていただきたいだけです。国籍の違いゆえに、それが叶わないというのであれば、せめて忘れないでいただきたい。かつて台湾にも日本のために尊い命を捧げた若者たちがたくさんいたことを。
記憶され、語り継がれることが私たちにとって一番の慰めであり、すでに逝った戦友たちへの最大の弔いとなると信じます。
この度、私は老体に鞭を打って「高雄市関懐台籍老兵文化協会」の会員と共にはるばる沖縄の慰霊祭にやってまいりました。参加者の中で戦争当事者は私ひとりです。
ご存じないかもしれませんが、2016年に台湾の有志によって摩文仁の丘に沖縄戦で戦死した台湾人兵士のために「台湾之碑」が建立されました。その隣には故・李登輝総統が揮毫した碑もあります。
次回お越しの際には、ぜひ足をお運びになり、戦死者の御霊にお手を合わせてくださるよう心よりお願い申し上げます。
近年、台湾海峡の平和と安定が脅かされています。地域の平和と繁栄のために、そして台湾の安全のために日本が今後さらなるリーダーシップを発揮してくださることを祈念しております。
2023年6月23日
元日本従軍看護婦 廖淑霞 (日本名 廖 淑子、昭和2年生まれ)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら




















無料会員登録はこちら
ログインはこちら