明治政府は、大阪湾へ侵入しようとする外国の軍艦を阻止するため、和歌山と兵庫間にあり、大阪湾と太平洋をつなぐ紀淡(きたん)海峡を、最重要防衛線として指定した。
その中心となったのが、この友ヶ島だ。島内には第1から第5までの砲台が築かれ、当時最新鋭の大砲が配備された。特に第3は、敵艦を頭上から攻撃するため、沿岸でなく山の上に築かれた。
つまり、ここは「国の最高機密」だったのだ。そのため、第2次世界大戦が終わるまで一般人の立ち入りは厳しく禁止され、当時の地形図からも友ヶ島の存在は消されていたという。
2003年、この5つの砲台跡は「友ヶ島砲台群」として「土木学会選奨土木遺産」に選ばれた。なかでも最も保存状態が良く、規模が大きいのがこの第3砲台跡だ。
1892(明治25)年竣工以来、130年以上にわたって時代の記憶を静かに語り継いでいる。
先に紹介した地下の部屋は、弾薬庫として造られたが実際に使われることは一度もなかったことだけ先に記しておく。
「本当にラピュタはあったんだ!」
友ヶ島の歴史を頭に入れたところで、先に進もう。地下を抜けると砲座があり、そこが「ラピュタ」と話題になっている場所のひとつだ。
階段を上ると、左右に道が延びていた。4つの砲座をトンネルでつなぐ構造だ。
トンネルに光が差し込み、地下独特の滞った空気が一気に解放される。木々に覆われ、霧に包まれた砲座が姿を見せた。
「チチチッ」「キー」、鳥たちが楽しげにさえずる声が耳に優しい。階段や水たまりで、カエルたちがピョンピョン跳ねているのが見える。
「本当にラピュタはあったんだ……」、しばし呆然としてしまった。

