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「かきいれ時の夏に店を閉めよう」湘南で「真冬も行列」のかき氷店が、娘の教育費をきっかけにたどり着いた《苦渋の決断》

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かき氷
生のフルーツからつくる自家製シロップをたっぷりと。旬の味覚を味わえる(写真:筆者撮影)
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鵠沼の常連客から見たら、そこにいつものアットホームな埜庵の姿はないかもしれない。それでも、石附さんにとっては、どちらに来てくれる客も大事であることに変わりはない。

7月の横浜「ゆめが丘ソラトス」での催事会場の様子(写真:埜庵提供)

「夏場の催事に来てくれるお客さまのおかげで、冬も営業ができている。冬のお客さまのおかげで1年店は続けられる。鵠沼の店舗のお客さまも、百貨店の催事のお客さまも、埜庵にとっては両方大事な存在です」

家族のライフステージや店舗運営の課題を見つめ直すなかで始めた夏の催事は、いつしか埜庵の1年を支える柱になった。どこよりも行列ができる店をつくっても、儲からない。あの現実に突き当たってから十数年。石附さんがたどり着いたのは、行列を増やす方法ではなく、行列に頼らずに続ける方法だった。

娘へのバトン

現在、鵠沼の店舗の店長を務めるのは石附さんの長女・千尋さんだ。

石附さんが秩父・長瀞で天然氷のかき氷に出会ったとき、そのそばにいた2歳の娘だ。今では30歳になり、店長として、日々の店の運営を任されている。

両親がかき氷店をはじめてからは、週末に母親が店の手伝いで家からいなくなるのが嫌で、小学生の頃からよく店に来ていたという千尋さん。大学生になると、アルバイトとして家業を手伝うようになり、卒業後はそのまま埜庵の社員に。前の店長の退職とともに、新店長になった。

石附さんと、長女で店長の千尋さん。家族を中心に、店のスタッフたちが心地よい雰囲気をつくっていた(写真:筆者撮影)

「もともと両親から『人手が足りない』と聞いていたので、店の手伝いをはじめたのです。アルバイトとして店に立って、初めて氷を削ったのですが、なかなか思うように削れず悔しい思いをしたことも。でも、うまくなりたいと削り続けているうちに、すっかり夢中になっていました」

子どもの頃から店に出入りしていた千尋さんにとって、スタッフや常連客は、幼い頃から成長を見守ってくれた顔なじみでもある。埜庵は、単なる家業ではなく、自分自身の人生とともに歩んできた場所なのだ。

「父は『秩父のかき氷屋に立ち寄ったことで僕の人生が変わった』と取材の方によく話していますが、あの日、もう一人の人生も一緒に変えられてしまったんです(笑)」

それでも、かき氷屋という商売の難しさを誰よりも知っている石附さんは、千尋さんに店を継いでほしいと期待はしていない。だからこそ、店を大きくすることより、長く続けられる形を残したいと考えている。

夏は催事。秋から春にかけては、鵠沼店を営む。行列をつくることではなく、それぞれの場所にまた来てくれる人を増やすこと。その積み重ねこそが、埜庵の23年間を支えてきた。

だから今日もまた、店には常連客のあたたかな声が響く。

「ごちそうさまでした! また明日来ます」

客のリクエストから生まれた「パイン」は、初夏の人気メニューのひとつ(写真:筆者撮影)
《合わせて読む》→→前編:「多いときで7時間待ち」「真冬も行列」のかき氷店、なのに全然儲からなかった…23年続く湘南の名店が直面した《矛盾》

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