ちょっと世代論的な話をさせてください。10年くらい前までは、活字を読まない子供でも漫画は読んでいました。
文字だけでなくてイラストが付いているから漫画だったら読めるという生徒は多く、コマの順序を追い、セリフを読み、キャラクターの表情を解釈し、絵の中の情報を統合するということを、無意識にできるという人が多かったです。
ところが、いまの子供たちは、漫画すら読まなくなっているんです。
じゃあ、その時間で何をしているのかというと、YouTubeのショート動画、TikTok、Instagramのリール。縦にスワイプするだけで、勝手に次の刺激が流れてくる動画を、延々と眺めている。
これ、僕は「情報を摂取している」のではなく、「情報に流されている」のだと思っているんです。
情報の濁流に「杭」を打てるかどうか
情報のインプットというのは、目の前を、情報という濁流が凄まじいスピードで流れていく。
そこに、自分から杭を打ち立てて、ボートを一度止める。
止めたうえで、「いま、この流れの中に何が入っていたか?」を眺め、必要なものを拾い、不要なものを流す。
この、杭を打ち立てて止める行為こそが、「理解する」ということだと思います。
読書のとき、僕たちは無意識にこれをやっています。
「あれ、いまの一文どういう意味だ?」で立ち止まる。
「この筆者は何を言いたいんだろう?」で立ち止まる。
「本当かな、これ?」で立ち止まる。
立ち止まった回数が多いほど、その情報は自分の中に沈殿する。
ところが、ショート動画にはこの「止まる」余白が、構造的に一切ありません。動画は勝手に終わり、次の動画が勝手に始まる。杭を打つ暇がない。
というより、杭を打とうとしたら、その瞬間に次の刺激が上書きしてくる。結果、子供たちは杭の打ち方そのものを忘れているのだと思います。
濁流に流されるだけの姿勢が習慣になった脳は、いざ本や教科書の前に座らされても、同じモードで文字を追ってしまう。
文字が滑る、というのは、たぶんこういうことなのだと思います。

