「小学生にディスカッションなど無理ではないか?」と思われたとしたら、そういう先入観が彼らの発想の発展を妨害していることに気づいてほしい。なぜ、子供たちが自分で考えたり、議論したりしないのか、というと、興味のあるイシューがないからだ。それに尽きる。問題がそこにあれば、彼らは、われわれよりもはるかに優れたパフォーマンスを見せる。なぜなら、先入観がなく、潜在的な好奇心の水準が圧倒的に高いからだ。
いちばん多い失敗パターンは、大人や先生が用意した「作り物の」イシュー、問題を議論させられるというやつだ。「いよいよみなさんは18歳になります。さあ、政治について考えましょう、選挙について考えましょう」と言われても、まったくピンとこない。そもそも、日本ではほとんどの大人が政治も選挙も理解していないどころか、エンターテインメント、憂さ晴らしに使っているから、ピンとこない、という反応は、さすが、鋭い感性の若者たち、ということなのだ。
自分で、驚いて、「目を見開き」「心をざわめかせる」機会をつくるには
与えるのではなく、考えさせるのではなく、「見て」「感じ」させるのである。させる、というのもよくない。自分で、驚いて、「目を見開き」「心をざわめかせる」のである。
実は、私は、ビジネススクールで、普通の授業においても、これだけを教えている。いや、教えているのではなく、伝えている、そういう「場」を作っている。それだけを毎日やっている。
「そんなことは、ビジネススクールでやることじゃない、小学生のときにやっておくべきじゃないか?」と言うだろう。まったくそのとおりだ。だから、ビジネススクールに来て、それができていないから、とにかく「見る」「感じる」機会を作っているのだ。
みんなできていないのだ。小学校のときにやっていないから、いけないのだ。だから、できていない大人は、大人になってからでもやるし、小学生なら、やるのは、今だ。ビジネススクールでは、私は、これを2つの段階に分けてやっている。
まずは「解毒」。あるいは「脱洗脳」。MBA(経営学修士)コースの1年目に習ったフレームワークをすべて捨てさせる。いまでも「5forces」とか「SWOT」などの分析手法をありがたがる学生もいるので、すべて捨てさせる。なぜなら、「この世」を純粋に見つめるのには、邪魔でしかないからだ。
フレームワークに制御された目ではパターン認識になってしまう。大事なことも見えないし、わざわざ枠にはまって観察の価値が凡庸になってしまう。さらに、五感、第六感の感度が落ちる。感性を研ぎ澄ますためには、余計なものはすべて捨てないといけない。谷崎潤一郎の中編小説「春琴抄」みたいなものだ。

