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"デジタル教科書の導入"本当の問題点を見落としている、紙かデジタルかより重要な「教科との相性」と「教師の専門性」

10分で読める
タブレットを使って学ぶ小学生
今後デジタルな形態を含むものも「教科書」として位置付けられるようになる(Fast&Slow / PIXTA)
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そうした身体感覚を伴った読み方は、単なる懐古趣味ではない。考えながら読むための足場になっている。一方で、デジタルは進むことが得意である。

すぐに調べられる。すぐに拡大できる。すぐに動画へ接続できる。すぐに答えの手がかりへ近づける。これは大きな利点である。しかし同時に、「戻る」「止まる」「迷う」「比較する」といった学びが弱くなる可能性もある。

問題は、デジタルが悪いということではない。その教科で育てたい力と、道具の性質が合っているかどうかである。「答えにたどり着くこと」と「考えること」は違う。これは、AIの問題ともよく似ている。

AIは、問いに対して非常に速く答えを返す。文章を整える。要点をまとめる。別の視点を出す。発想を広げる。使い方によっては、思考を深める強力な道具になる。しかし一方で、AIには「思考の途中」を飛ばさせてしまう危うさもある。本来、学びには過程がある。

・問いを持つ。

・考える。

・試す。

・失敗する。

・修正する。

・気付く。

この過程の中で、人は学ぶ。ところが、AIもデジタル教科書も、使い方によっては、問いを持つ。だが、すぐに答えへたどり着くという流れをつくりやすい。

「答えを得ること」と「考えること」は同じではない。教育で大切なのは、正解を速く知ることだけではない。正解に向かうまでの試行錯誤を経験することでもある。

私は学級で「質問の4ステップ」を大切にしている。わからないことがあったとき、すぐに「先生」と呼ぶのではなく、まず自分で考える。次に周囲を見る。近くの友達に聞く。それでもわからなければ教師に聞く。

一見すると、これは教室を静かにするためのルールに見えるかもしれない。しかし、私にとってこれは単なる学級経営の技術ではない。思考を守る仕組みである。子どもは悪気なく、すぐに教師へ答えを求める。

「先生、どうすればいいですか」

「先生、これで合っていますか」

「先生、次は何をしますか」

もちろん、必要な支援はある。教師が助けるべき場面もある。困っている子を放置してよいわけではない。しかし、いつも教師が先回りして答えを与えてしまえば、子どもは自分で考える前に外側へ答えを求めるようになる。これはAIでも同じである。

AIを使うこと自体が悪いのではない。問題は、AIに考えてもらうのか、AIと一緒に考えるのかである。デジタル教科書も同じだ。デジタル教科書に学ばせてもらうのか。デジタル教科書を使って自分で学ぶのか。この違いは大きい。

教師に必要なのは「学びを設計する力」

だからこそ、これから学校に必要なのは、ICT機器の操作研修だけではない。むしろ必要なのは、学びを設計する力を高める研修ではないか。

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