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"デジタル教科書の導入"本当の問題点を見落としている、紙かデジタルかより重要な「教科との相性」と「教師の専門性」

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タブレットを使って学ぶ小学生
今後デジタルな形態を含むものも「教科書」として位置付けられるようになる(Fast&Slow / PIXTA)
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どの場面ではデジタルを使うのか。

どの場面では紙を使うのか。

どの場面では動画を見せるのか。

どの場面ではあえて見せずに考えさせるのか。

どの子には読み上げが必要なのか。

どの子には紙面に書き込む時間が必要なのか。

どこまで支援し、どこから子ども自身に引き受けさせるのか。

こうした判断が、これまで以上に教師に求められる。デジタル教科書の導入によって、教師の役割が小さくなるわけではない。むしろ、教師の役割はより高度になる。知識を伝えるだけなら、教師以外にもできることが増えていく。動画もある。AIもある。デジタル教材もある。

だからこそ教師は、子どもがどこで立ち止まり、どこで考え、どこで助けを求め、どこで自分で引き受けるのかを見取らなければならない。

教師は、答えを配る人ではなく、学びの過程を設計する人になる。その意味で、デジタル教科書の導入は、単なる教材の変更ではない。教師の専門性を問い直す出来事でもある。

学校が守るべきは「途中」

私は、主体性とは「何をしたいか」だけではなく、「何を引き受けるか」だと考えている。

子どもが自分で考える。

自分で選ぶ。

結果を予測する。

失敗したら修正する。

必要なときには助けを求める。

そうした経験を通して、少しずつ自分の学びを引き受けられるようになっていく。そのためには、便利な道具を与えるだけでは足りない。考える時間、迷う時間、試す時間、失敗する時間、戻る時間、読み返す時間……。

そうした「途中」を、学校は守らなければならない。2030年度以降の本格的なデジタル教科書の使用を見据え、学校現場にはまだ準備の時間がある。その間に準備すべきことは、端末の操作に慣れることだけではない。紙かデジタルかの優劣を決めることでもない。本当に考えるべきなのは、どの学びに、どの道具を、何のために使うのかということである。

紙には紙の良さがある。デジタルにはデジタルの良さがある。AIにはAIの良さがある。しかし、どれも道具である。道具に使われるのではなく、道具を使う。そのためには、教育の目的を見失ってはいけない。

子どもが自ら考え、学び、他者と関わり、自分の人生を引き受けていく力を育てること。デジタル教科書の議論は、結局そこに戻ってくる。教育とは、答えを早く与えることではない。答えに向かう途中を、子ども自身が歩けるようにする営みである。

東洋経済education×ICTでは、小学校・中学校・高校・大学等の学校教育に関するニュースや課題のほか連載などを通じて教育現場の今をわかりやすくお伝えします。

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