マンションを保有している、という意味では確かにそうかもしれない。だが、こと「家」に関して、人がポジショントークをしようとしても、立てるポジションは2つしかない。
家を持っているか、持っていないか。それだけだ。
家について何かを語ろうとすれば、誰もが必ずどちらかのポジションに立っている。持ち家か、賃貸か。持っている人間の言葉が「ポジショントーク」として割り引かれるとするならば、持っていない人間しか発信してはいけないことになる。
「眼鏡をかけた医師」を信じることはできなかった
さて、ポジショントークという言葉で私がいつも思い出す光景がある。
2007年、視力向上のためにレーシック手術を受けたときのことだ。まだレーシックが一般的とは言えず、そんなリスクのある手術をするの?と本気で心配された時代。
私は、手術を受けたクリニックで、事前にこの手術に適合するかをチェックする眼科医、カウンセリングをする眼科医、執刀医、と3人の医師に会った。手術を控えた私の表情が不安そうに見えたのだろう、3人ともそれぞれのタイミングでこう言った。
「レーシックは安全で素晴らしい手術ですよ、安心してください」
そしてその3人にはある共通点があった。全員、しっかり眼鏡をかけていたのである。
あなたなら、この医師たちの言葉を信じることができるだろうか。3人目の医師である執刀医が眼鏡をかけていることを確認したとき、私は思わず笑ってしまい、心の中でこう突っ込んだ。「素晴らしいレーシック手術、自分たちはやらんのかい!」と。

