さらに、もう一段、確信そのものを強める働きがある。
心理学では、ある考えが頭にすっと浮かんでくるとき、その「浮かびやすさ」自体を、内容の正しさの証しのように感じてしまう現象が知られている。これを「流暢性ヒューリスティック」と呼ぶ(※4)。
出産経験者にとって「母体への負担」という考えは、真っ先に頭に浮かぶ。すると、その「すぐに浮かんだ」という感覚そのものが、無意識のうちに「だから、これは確かなことだ」という確信に変換されてしまう。考えの中身が正しいかどうかとは本来関係のないところで、確信の強さが決まっていくのである。
これは、批判する側にも、反論する側にも、同じように働いている。
「年子でも自分は大丈夫だった」という経験を持つ人にとっては、「体力は人それぞれ」という考えがまず浮かぶ。その浮かびやすさが、やはり無意識のうちに確信へと変換される。
どちらの側も、自分の中で「すぐに浮かんだ」という感覚を頼りに、知らず知らずのうちに自分の判断への自信を強めていったのだろう。
なぜ、この論争はこんなにも噴出しやすいのか
出産と身体という、本来もっともプライベートな情報が、本人の発言なしに、外側からこれほど活発に語られる。
それは、出産や育児が、極めて多くの人にとって、何らかの形で「自分のこと」として体験済みのテーマだからだろう。それぞれの脳が、それぞれの経験に基づいて、異なる情報を優先的に拾い上げ、それぞれの「現実」を作り上げてしまう。

