このすれ違いに一度気づくと、論争の見え方は変わってくる。どちらの立場が正しいかを、外野が決める必要はない。むしろ私たちが、他人の状況について語るとき、いかに簡単に、無意識のうちに一方的な「自分の物差し」を当ててしまっているのか――それに改めて気付かされることになる。
自分の脳が選び取った情報だけを見て、現実のすべてだと思い込んでいないか?
考えてみれば、私たちの日常にも、似た場面は数えきれないほどある。
職場の同僚が産休に入るとき。友人が転職を決めたとき。親戚が再婚を発表したとき。本人の事情を詳しく聞いたわけでもないのに、「大丈夫なのかな」「無理しているんじゃないか」「あの人だから平気だろう」と、つい胸の中で判断を下してしまう。その判断の材料は、たいてい自分自身の過去の経験か、漠然としたイメージでしかない。
大谷夫妻のおめでたい報告をめぐる、この論争は、世界的なスター選手の家庭だったからこそ、たまたま大きく可視化された。「見た目の科学」が教えてくれたのは、私たちは多くの場面で、自分の脳が選び取った情報だけを見て、それを現実のすべてだと思い込んでいる、という事実だ。
その一歩手前で立ち止まることができれば、知らぬ間に誰かを傷つける言葉も、少しは減らせるのではないだろうか。
【参考文献】
※1:Ross, L. & A. Ward (1996) Naive Realism in Everyday Life: Implications for Social Conflict and Misunderstanding, In Reed, E. S. et al. (eds.) Values and Knowledge, Lawrence Erlbaum Associates.
※2:Broadbent, D. E. (1958) Perception and Communication, Pergamon Press.
※3:Treisman, A. M. (1964) Verbal cues, language, and meaning in selective attention, American Journal of Psychology, 77(2), 206-219.
※4:Schwarz, N. (2004) Metacognitive Experiences in Consumer Judgment and Decision Making, Journal of Consumer Psychology, 14(4), 332-348.

