特に66年、ニューヨークのジャズクラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」で撮影した写真は強烈なインパクトがある。汗だくになり、正面を見据える眼光鋭いスーツ姿の男。
この強烈なモンクの写真が、DUGを名店たらしめたと言っても過言ではない。
モンクが63年に来日したときに初めて写真を撮り、66年には瀧廉太郎の「荒城の月」が流れるオルゴールをモンクにあげた。
後にアメリカのニューポートジャズフェスに行き、モンクに会いに行ったところ、モンクは「今日は中平のために演奏するよ」。すると演奏したのは、贈ったオルゴールに入っていた「荒城の月」だった。穂積さんは「大変感動した」と嬉しそうに語っていた。
父・穂積さんを「マスター」と呼び続けたワケ
このように日本のジャズ文化、新宿のカルチャー形成に多大な貢献をした父に対し、塁さんはどのように向き合ってきたのだろうか。
塁さんは穂積さんのことを、いつも「マスター」と呼んでいた。父でありながら、常にDUG創業者への強い敬意が込められていた。
「中平穂積は唯一無二の存在、人としても父としても尊敬しています。その理由は、先代マスターは、ジャズ写真家のパイオニアであり、また日本のジャズ喫茶の在り方を醸成した人であったこと。それよりも素敵だなと思うのは、やはり人となりですね。ふわっと場の空気をつかむ、穏やかさと秘めた熱量、他者を敬う心の持ち主であることなど、思い出すときりがありません」(塁さん)
DUGの閉店後、塁さんはどうするのか。
塁さんは「先代マスター中平穂積のDUGは幕を降ろすということ。続・2代目中平塁の新たな展開は『To be continued…』。乞うご期待。現在模索中です」と話す。
店は閉店しても、親子2代で築き上げた名ジャズ喫茶の記憶や魂、ジャズ文化の香りは今後もきっと多くの人に受け継がれていくにちがいない。

