始まりとして語られてきた邪馬台国
古代の日本史を語ろうとすると、ほとんどの場合、最初に話題に出てくるのが邪馬台国です。3世紀頃の出来事であり、その所在地はいまも確定していません。
日本史には未解決の問題がいくつもありますが、これほど広く知られ、しかも長い間語られてきたテーマは、そう多くないでしょう。邪馬台国は、古代史の「入り口」に、ずっと置かれ続けてきた問題だと言っていいと思います。
一般によく知られてきたのは、邪馬台国は九州にあったのではないか、という考え方です。その根拠として挙げられるのが、中国の歴史書『魏志』倭人伝です。
そこに記された行程を、そのまま地理的にたどっていくと、北九州あたりに行き着くように読める。このため、数少ない同時代の史料を重視する立場から、九州説は長く有力だと考えられてきました。古代史では、同じ時代に書かれた記録そのものが限られています。だからこそ、同時代の記述に依拠したいという姿勢は自然なものです。
この九州説が広く受け入れられてきた理由は、史料の読みやすさだけではありません。邪馬台国が九州にあり、その後、政治の中心が畿内へ移ったと考えると、『古事記』や『日本書紀』に描かれる神武天皇東征の物語と重ねやすくなります。

