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なぜ《邪馬台国の所在をめぐる論争》は古代史の入り口に居座り続けるのか…歴史学者が明かす「人間臭い」背景

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日本の「始まり」が、いつもどこか揺れている理由を読み解きます(写真:Daikegoro/PIXTA)
  • 本郷 和人 元・東京大学史料編纂所教授
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「聖徳太子がそう言った」という言葉は、個人の意見ではなく、過去から引き継がれた規範として受け取られます。特定の個人が目的を持って命令したのではなく、先達の判断として語ることで、複雑な人間関係や政治の調整を円滑に進めることができたのです。

言い換えれば、太子の名は議論を推し進める判断の根拠にもなり、対立を和らげるための拠り所として働いたのでしょう。

対外的に日本を代表する「顔」となる人物像

さらに、対外関係の文脈も見逃せません。中国大陸や朝鮮半島とどのような関係を結び、国家としてどう振る舞うのか。そうした問題を考えるとき、日本を代表する「顔」となる人物像が必要でした。

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政治的立場を超えて使える象徴として、聖徳太子は非常に都合のよい存在だったのです。

学問や研究もまた、完全に中立な営みではありません。どの人物を大きく描き、どの像を後世に残すのかという選択そのものが、歴史の語り方を方向づけます。

語りやすい人物像が先にあることは、ほとんどありません。語り継ぐ必要の中で像が磨かれ、膨らみ、定着していく。聖徳太子は、実在の人物であると同時に、時代ごとに必要とされ、そのたびに呼び戻されてきた象徴でした。

だから、「聖徳太子は本当にすごかったのか」という問いは、単純な人物評価では終われません。問われているのは、日本史がどのような理想像を必要としてきたのか、ということです。

聖徳太子は、その問いを考えるための、もっともわかりやすく、もっとも重たい存在なのかもしれません。

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