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なぜ《邪馬台国の所在をめぐる論争》は古代史の入り口に居座り続けるのか…歴史学者が明かす「人間臭い」背景

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日本の「始まり」が、いつもどこか揺れている理由を読み解きます(写真:Daikegoro/PIXTA)
  • 本郷 和人 元・東京大学史料編纂所教授
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同時に複数の人からの訴えを聞き分けた、生まれながらに非凡だった、といった逸話が重ねられてきたのも、その流れの中でのことです。こうした話が積み重なることで、聖徳太子は次第に人間的な枠を超え、ほとんど神話的な存在として理解されるようになっていきました。

実務を担った人物と、集団で動く政治

現在の研究では、この聖徳太子像をそのまま史実として受け取ることはできません。史料に確認できるのは、厩戸王という人物です。推古天皇の政治に深く関わった実在の人物であり、後世に語られてきた聖徳太子像は、この厩戸王の活動を土台にしながら、次第に形づくられていきました。

厩戸王が政治の中枢にいたこと自体は、ほぼ間違いありません。ただし、十七条憲法や冠位十二階といった制度を、1人で考え、1人で決めていたと考えるのは現実的ではないでしょう。

当時の政治は、複数の有力氏族や官人たちが関わる集団的な営みでした。制度は調整と合意の積み重ねの中でつくられていき、厩戸王はその中で重要な役割を担った1人だった、と考えるのが自然です。むしろ重要なのは、そうした調整の中心に立てるだけの地位と力を持っていたことでしょう。

それでも後世の人々は、この複雑な政治の動きを、そのまま伝える道を選びませんでした。集団で動く政治よりも、1人の人物に集約された物語のほうが、理解しやすかったからです。

複数の立場がせめぎ合い、そのつど折り合いをつけていく政治の姿は、現実としては自然でも、語りとしては際立って見えません。こうして厩戸王は、次第に「聖徳太子」という大きな存在へと姿を変えていきます。

聖徳太子像がこれほど大きく育った理由の1つは、宗教との関わりにあります。

仏教を守り、広めた人物としての太子は、単なる政治家ではなく、精神的な権威を帯びた存在として理解されるようになりました。宗教的な重みを持つ人物は、時代を超えて使いやすい象徴になります。

また、当時社会の中での位置づけも重要です。のちの世代の貴族たちにとって、聖徳太子は「自分たちより前の時代を代表する先輩」にあたる存在でした。

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