「自分は純粋な運だけで、友人がたどったような過酷な運命を避けられたが、そのことに対してわたしは常に葛藤を抱いてきました」とハーディ監督は振り返る。
彼は心の中で「なぜ、あのような不条理に対して誰もが沈黙していたのか?」「不条理に直面した時、何が道徳的で、何が不道徳なのか」「冷酷さが蔓延する中で、道徳に価値はあるのか?」と自身に問い続けていたという。この内なる罪悪感と葛藤が、ハーディ監督を本作の執筆へと駆り立てた。
90年代のイラクは、湾岸戦争後の国連による経済制裁によって深刻なインフレと物資不足に陥り、国民は極度の貧困にあえいでいた。その一方で、サダム・フセインは秘密警察を使って、国民の動向を監視。恐怖による支配のもと、国民の自由を奪い、徹底的な個人崇拝を強要した。
街中にはサダム・フセインの肖像画などがあふれかえっており、国民ににらみをきかせていた。国民も、公の場ではフセイン大統領への忠誠心を示さなければならず、本作の劇中でも子どもたちが「偉大なる指導者サダム・フセイン万歳!」「われわれの魂と血をサダムにささげます!」といった声を上げ続けるシーンがところどころで映し出されている。
圧倒的な命のきらめき
本作の時代背景には、独裁政権や経済制裁、戦争といった重いものがあり、それはどこか不安や困難が広がる現代にも通じるものがある。だが、それでもハーディ監督自身は「説教じみた映画や、政治的なプロパガンダにはしたくなかった」と語る。
映画におけるイラク像といえば、アメリカ側から見た視点で描かれることが多いが、本作ではイラクで暮らす「ごく普通の市民」や「過酷な環境を生き抜く子どもたち」を真のヒーローとして描き出すことに注力した。
それゆえ、理不尽な大人たちの社会に翻弄されながらも、必死に街中を駆け回る子どもたちの姿には、圧倒的な命のきらめきがある。
