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突如として中国の歴史書から倭国の記述が消えた《空白の4世紀》 その直前の古代日本では何が起きていたのか

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卑弥呼政権の後ろ盾だった魏の滅亡後に「空白の4世紀」が始まった(写真:denkei/PIXTA)
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卑弥呼は3カ国に分裂していた中国王朝の中で魏へと朝貢し、卑弥呼政権については『魏志』倭人伝(3世紀後半成立)に記されている。

ところが265年に卑弥呼・台与(とよ)政権の後ろ盾だった魏が滅亡し、後継国家として西晋が立てられた。翌年の泰始2年(266)、倭国の使者が西晋に朝貢したと見られる記述を最後に、中国の歴史書から倭国の記述は途絶える。この時の使者は台与政権が派遣したとされるのが一般的だ。

やや後世の資料となるが、さらに梁(502~557年)について記した『梁書』倭伝(7世紀前半成立)や北朝(439~589年)について記した『北史』東夷伝(7世紀中頃成立)には、台与の後に再び男王が立てられ、中国から授爵されたことが記されている。

次に現れるのは、『宋書』倭国伝(5世紀後半成立)の421年に始まる、倭の五王と呼ばれた5世紀のヤマト王権の王による朝貢であり、この約150年間は「空白の4世紀」と呼ばれる。

中国の歴史書に弥生時代後期にあたる紀元前1世紀から3世紀中頃にかけては詳細な記録がある一方で、卑弥呼・台与政権という共立された女王の時代から、おそらく男王と考えられる王権への移行期については、謎に包まれているのだ。

『古事記』『日本書紀』+考古学的アプローチ

中国王朝と活発に交流していたことから、近年では硯(すずり)と考えられる遺物の出土が相次いでいる。

令和7年(2025)には、福岡大学名誉教授の武末純一氏らの研究グループが、弥生時代の硯についての研究報告書をまとめた。報告書では、弥生時代の遺跡から出土した板石を「硯」として、その総数は320点に上る(ただし、根拠が不十分とする指摘もある)。

中国王朝との外交では、公式文書が不可欠であることから、弥生時代後期には文字使用がされていたことが確実視されているが、日本国内で文字史料は発見されていない。

日本における最古の歴史書は和銅5年(712)に成立した『古事記』であり、最古の正史である『日本書紀』は、養老4年(720)に編纂された(以降、『古事記』『日本書紀』の2書を『記・紀』とする)。

いずれも8世紀前半の歴史書であり、神話的な記述も多く、その内容をそのまま史実とするのは難しい。『日本書紀』の記述が考古史料と一致するようになるのは5世紀後半の21代雄略天皇の時代からとされる。

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