漢字表記の固有名詞は難儀だ。一読して、どうにも読めない人名・地名は、日本だけでも少なくない。これを世界にひろげれば、どうなるのか。金文京は「魯迅」や「ソウル」などを事例に、漢字という摩訶不思議な文字と各地の言語との、微妙で一筋縄でいかない関係を軽妙に解き明かしてくれた。
しかしそんな漢字なればこそ、発音が違おうが言語が異なろうが、リテラシーさえあれば、どこでも通じてしまう。あたかも往年のドル銀貨が、アメリカドル・中国元・日本円として流通したかのように。
近現代のグローバル社会に息づく漢字と漢語
文字のなかった場所・時代ばかりではない。近代の世界になって、漢字の通用性があらためて効力を発揮する。漢文脈の文章語が普及した明治日本は、漢詩文という文字媒体で東アジアの圏域で意思疎通を実現した。それは齋藤希史がつぶさに論じるとおり、純粋な古典漢文にとどまるはずがない。時事の報道・西洋語の翻訳も交えた、豊かな言説空間を形成していた。
そうした日本発の近代漢語は、現代モンゴル語にまで痕跡をとどめている。われわれにはほとんど知覚できない、そんな日本語のすがた、漢語のありようを、フフバートルは丁寧につきとめてくれた。あらためて和製翻訳漢語の歴史的な役割に、思いを致してもよい。
そんな漢字・漢語は近代・現代でも健在。いわゆる「同文」の国々ばかりではない。むしろ欧米世界にこそ、中国人のネットワークは張りめぐらされている。これまた一筋縄でいかない。
上述のような、おなじみの固有名詞でいえば、街中でよくみるファストフード店「麦当労」。学校で習う中国語=普通語で読んでも、よくわからない。広東語で読んではじめて「マクドナルド」に近い音になる。じつはそんな漢語は、欧米のみならず身近にもいっぱい。ワンタンにギョーザ、おなじみの中華料理もそうだ。そんなグローバルな広東語を、飯田真紀が初歩から指南する。
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【近現代に広がる漢字と漢語】
