現在のギムナジウム(中等教育機関)の教科書は、こうした転換を反映しています。「オーストリアは犠牲者だった」と一方的に書くのではなく、複数の資料を並べ、生徒に判断を委ねる構成を取っているのです。被害者であり加害者でもあった――その複雑さを、結論を押し付けずに考えさせる設計です。
では、日本の教科書はどこに立っているのか
ここで日本の教科書制度を改めて眺めてみたいと思います。
日本では文部科学省による「教科書検定」という制度があり、すべての教科書はこの検定を通過しなければ学校で使用することができません。
出版社は申請の際、「白表紙本」と呼ばれる特殊な形式の本を提出します。文字通り白い表紙で、公平を期すため会社名や著作関係者の名前は一切書かれていません。検定意見書を受け取り、修正を繰り返して合格となる、というプロセスです。
82年、教科書記述をめぐる外交問題(いわゆる「侵略→進出」書き換え報道)を機に、検定基準に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という、いわゆる「近隣諸国条項」が新設されました。
つまり日本の教科書は、ロシアのような国家直営の単一物語でもなく、独仏のような共同教科書でもなく、民間出版社の競争のうえに国家の検定が乗るという、独特の二層構造を取っています。
原爆投下についても、「正しかった」「仕方なかった」と価値判断するよりは、被害の実態や証言を通じて「何が起きたのか」を理解させる方向に寄りやすい――これは比較してみて初めて見える特徴です。
アメリカの教科書の多くが原爆投下を「本土侵攻を回避し、米兵の命を救うために必要だった」という文脈で説明するのとは、明らかに記述の重心が違います。
