「実際には、イギリス軍は正義の追求の程度を超えたところまで足を踏み入れていました。かれらは報復を望んでいました」
具体的には、反乱者を大砲の口に縛り付けて吹き飛ばす。絞首刑になる前のヒンドゥー教徒・イスラム教徒に、宗教上禁忌である牛や豚の肉を食べさせる――そうした行為まで隠さずに記述されているといいます。
アフリカのベニン王国(現在のナイジェリアの一部)に対する欺瞞的な条約や、王宮焼失をめぐる自国の主張に対しても、「真実はだれにもわからない」と疑義が呈されています。
ロシアが侵略を「救済」と書くのに対し、イギリスは加害をここまで率直に書く。一見、教育的に成熟しているように見えます。
とはいえ、この「率直さ」もまた一様ではない部分があります。たとえば、現代のパレスチナ問題にまで尾を引く「三枚舌外交」について、教科書はそれを国家的な背信行為としてではなく、イラク建国の母とも呼ばれるガートルード・ベルという一人の女性を中心とした物語的な構成で描いています。
被害者神話を捨てたオーストリアという第三の道
では、自国の加害責任から逃げず、しかし国家の物語として再構築するとはどういうことでしょうか。その実例が、オーストリアにあります。
戦後のオーストリアは長らく「被害者神話」を維持してきました。1938年のナチス・ドイツによる併合(アンシュルス)と、43年のモスクワ宣言における「ナチス・ドイツの最初の犠牲者」という文言を盾に、自分たちは加害者ではなく被害者なのだ、というアイデンティティを国民統合の核に据えてきたのです。
転機となったのが、86年のヴァルトハイム事件でした。国連事務総長を務めたクルト・ヴァルトハイムが大統領選挙に出馬した際、彼のナチス時代の経歴が国際的に問題視されたのです。これをきっかけに、社会全体が自らの加害性に向き合わざるを得なくなりました。
