ようやく作成した書類も、管理職からは「不備がある」と何度も差し戻され、再提出を繰り返した。さらに、竹中さんが担う業務はそれだけにとどまらなかった。
「驚いたのは、特別支援学級の時間割まで自分たちで決めなければならなかったことです。通常学級の時間割が決まった後に、空いている先生を一人ひとり探し出してパズルのように当てはめていく。そんな調整、本来は管理職がやるべきことではないのでしょうか」
これに加え、当時はまだ部活動が地域移行されていなかったため、放課後は顧問として活動を見守った。部活終了後は立哨指導として20分ほど通学路に立ち、生徒の安全を確認。学校に戻れるのは18時過ぎだ。
そこからようやく授業準備や書類作成に取りかかるため、帰宅は20時、21時を過ぎるのが当たり前だった。
「19時半に退勤したことに」操作される勤務記録
当時、竹中さんが勤務していた学校でも働き方改革が行われていたが、それは表面上の「数字合わせ」にすぎなかった。
「教頭先生が、『全員、19時半に退勤したことにしましょう。いいですね』とおっしゃったのです。もちろん、誰も異を唱えることはできません。実際には21時、22時まで残っている先生が大勢いる中で、パソコン上の勤務記録は操作されているのが日常茶飯事でした」
現場の窮状を見ようとしない管理職の態度は、それだけではなかった。校内には教育委員会の幹部らが視察に訪れることがあり、そのたびに教員たちは普段の授業では到底不可能な「演出された授業」を準備させられた。
「何日も前から指導案を何度も訂正させられ、当日は先生たちが校門に並んで偉い方々をお見送りする。そんなことのために、日々の大切な授業準備の時間が削られていくのです」
