1973年暮れ。蔵相の福田赳夫が田中角栄の積極財政にブレーキをかけ、路線転換させた。次は日本銀行の出番である。
オイルショックがもたらした混乱はこのころ頂点に達していた。スーパーマーケットの大行列やガソリンの売り惜しみ、政府への抗議デモが半ば常態化し、12月14日には愛知県の豊川信用金庫で預金の払い戻しを求める、根拠のない行列ができた。オイルショック後の人心不安が「取り付け騒ぎ」に発展したのだ。
日銀の総務部長(現在の企画局長)だった三重野康は、この報告に強いショックを受けた。
「人心がいかに動揺していたか。人気というのは怖いなとつくづく思いました。昭和の初めの金融恐慌のときの渡辺銀行とか、ああいうのを本で読んで、『ええ、そんなこともあるのかな』と思いましたが、あれを見ていると『なるほど、怖いな』と。(中略)そういうときはきめが細かくて大胆なことをパッとやらないといけないなということは感じました」とオーラルヒストリーで語っている。
11月の卸売物価指数は前月比3.2%、前年同月比22.3%という暴騰を記録し、もはや待ったなしの状況にあった。三重野は第5次公定歩合引き上げを急ぐべきだと確信した。
「3%はないだろう」 ムッとした佐々木総裁
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