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遅すぎた公定歩合引き上げ、総裁は「辞任」を覚悟した/全国紙は利上げに異議、「アンカー論」根強く バブルの終わり③

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辞任覚悟で利上げを決めた澄田智日銀総裁(1989年撮影)(写真:共同)

1989年1月。金融緩和を脱したい日銀は大蔵省に利上げを持ちかけたが、糸口がつかめない。「内需拡大の国際公約に反する」「世界的な株価急落を起こしかねない」「物価は安定しており、地価は金融政策で対処すべき問題ではない」などと反論され、リクルート事件による政局の混乱もあり身動きが取れなくなっていた。

消費税の導入を控えていた

大蔵省が利上げを拒み続けたのは、消費税の導入を控えていたからだった。竹下登内閣が命運を懸けた税制改革法は、与野党攻防の末、88年の暮れに成立。翌年4月からの円滑な導入を図るため、大蔵省は全省庁による促進会議を立ち上げ、わざわざ日銀の総務局長(現在の企画局長)をメンバーに入れた。利上げを封じ込めるためである。

ある日銀幹部は「消費税を前にインフレ懸念などと言って余計な波風を立ててくれるな」と大蔵省に頼まれたことを記憶している。当時副総裁だった三重野康(のち総裁)も「(大蔵省は)非常に気にしていた。消費税を上げたので物価が上がってインフレになったと言われたくないんですね」とオーラルヒストリーで語る。

過去の金融政策・経済政策の検証に取り組む筆者が、当時の政策決定プロセスや当局者たちの人間模様に迫る。【月曜日更新】

後に日銀本店から全国の支店長に送られた機密文書にもこんな記述がある。「大蔵省はもちろん、(経済)企画庁さえも今回は消費税に対するガードを固くするあまり、物価基調の変化を容易に認めようとしない、ややかたくなな態度が目立った」(89年5月30日付「総務局長私信」)。

これに業を煮やしたのが日銀営業局(現在の金融市場局)だ。日銀貸し出しなどの権限を持つ営業局は88年11月、短期金融市場改革の一手を打っていた。短期金利の自由化を進め、市場の力を使って公定歩合引き上げの環境を整えようという作戦だった。

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【全国紙は利上げに異議】

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