物価高も給食に影響を及ぼしている。牛肉や豚肉メインの献立が減り、タンパク質を比較的安価な鶏肉や卵・豆類で補っているのだ。筆者が小学生の頃はキウイやみかんなどの果物が献立にあったように思うが、今では果物も提供頻度が下がり、缶詰の果物を出しているところもあるという。
SNSでは「あまりにも量が少ない」と給食の写真がアップされ、汁物と少量のおかず1品、ご飯のみというメニューが物議をかもした。
始まりは貧困家庭の児童を救うため
こうした改善点もある学校給食だが、そもそも日本における給食の歴史というものはどのようなものであったのか。
まず、日本における給食の起源は、諸説あるが、明治22(1889)年とされている。同年、山形県西田川郡鶴岡町(現在の鶴岡市)の私立忠愛小学校において児童に給食が提供されたのだ(忠愛小学校は大督寺という寺院の中にあった)。
忠愛小学校が給食を提供したのは、貧困家庭の児童を救うためだった。給食の費用は、鶴岡町と僧侶の托鉢により賄われた。同校で提供された給食メニューは、白米の握り飯2つ、煮浸し、塩魚の干物というものだった。
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【終戦後、アメリカの物資寄贈で給食が再開】
