彼は、第一次世界大戦での経験などをもとに、配給や計画に基づく戦争中の経済体制を検討し、資本主義に代わる新しい計画経済の形を考えようとしました。こうした議論は少し前までは、あまり人の関心を呼ばなかったかもしれません。グローバル化が進展して、好きな食べ物がいつでも世界中から安く手に入るというような状況だったためです。事実、第二次世界大戦が終結し、各国が経済発展を遂げていく中では、ノイラートの計画経済や配給についての議論はほとんど忘れ去られていたと言っていいと思います。
代わって支持を集めたのが、同じオーストリアの哲学者、ハイエクでした。彼は、計画経済は個人の自由を奪うものであり、全体主義に陥る危険があるとして、政府は基本的には市場に介入すべきではないと主張しました。現代の私たちの思考の根底にもそうした考え方は深く根付いています。その傾向は近年ますます強まっていると言えるでしょう。
生活必需品の「配給」も再評価されうる
けれども、気候変動の影響もあって世界各地で不作が続き、食糧を他国から輸入すること自体が難しくなるかもしれない。国内でもインフレが進んで、食糧の価格を市場だけに任せていては先物取引でますます価格が上がってしまうかもしれない。戦争で物資が手に入らなくなる。そんな現在の状況を踏まえれば、どうでしょう。完全に市場に委ねてしまうのではなく、生活必需品については、政府が生産を管理したり、調整したり、分配したりする。そうした、ある種の配給を考えてもいいのではないかという議論が、これまでになく説得力を持ってくるのではないでしょうか。
そのとき、100年前にノイラートが掲げた計画経済の議論は、非常に「使える」ものだと思います。時代が変わり、状況が変わったからこそ、再評価される可能性がある思想だと言えるのではないでしょうか。
このように忘れられていた思想に、時代が変わることで新しい光が当てられたり、読まれ方が変わっていくというのも、読書の大事な側面です。たとえばマルクスにしても、かつてはどちらかといえば若い頃の、加速主義的な方向性が強かった時期にのみ焦点が当てられがちでした。それが時代の変化とともに、晩年にも目が向けられ、私が書いたようなエコロジーや脱成長にも注目が集まるようになったわけです。
本が面白いのはそこだと思います。一度忘れられた思想も、時代の変化とともに再び注目されるようになる。マルクスも時代が変われば、脱成長コミュニストに変わる。当然、時代が変われば読まれる本も、読まれ方も変わっていくのです。
