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斎藤幸平が警告「わかったつもりが一番危ない」…AI時代を生き抜くための、「違和感」と向き合う読書術

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「わかったつもり」になっていた本でも、そこに別の視点が浮かび上がってくることがあります(写真:zon/PIXTA)
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古典とは、「この本の主張はこうです」と簡単にまとめられるものではありません。社会状況が変わると、それに合わせて読み手の問題意識も変わる。そのことで、「わかったつもり」になっていた本であっても、そこに別の視点が浮かび上がってくることはよくあります。それこそが名著を読む意義であり、こうした読書体験は、まとめサイトで効率よく情報を読んでいるだけでは、一生味わえない読み方なのです。

100年前の名著の新たな読まれ方

では、現代を生きる私たちが、100年前の名著をいかに現代の視点から読み取っていくか。

時代とともに社会の状況が変わることで、新たな読まれ方が生まれる例はいくつもあります。

たとえば、ここ数年の日本では、「米不足」が大きな問題になっています。つい数年前まで、私たちにとって米は余っているものでした。政府もひたすら減反を言い続けてきた。けれども、気候変動の影響もあって、急に足りないものになった。これまで生活の根幹にあったものが、当たり前には買えないような時代になってきているわけです。

その中で私が、改めて注目しているのが「配給」です。かつてのように、政府が食糧や物資を規制しながら配布する「配給制度」が必要になる時代が来るのかもしれない。

配給というと日本ではあまりよいイメージがないかもしれません。ですが、必ずしも悪い面ばかりではありません。第二次世界大戦中のイギリスでは、ドイツによる海洋封鎖で食糧が入ってこなくなった時期に、配給制度が導入されました。それによって、最低限のカロリーも取れていなかった貧しい世帯の子どもたちも、明らかに健康状態が改善したといわれています。生活必需品すら買えない人がいる場合には、配給制度を導入することでむしろ生活状況がよくなる可能性もあるわけです。

今の日本では、どうでしょうか。戦時中と同じような厳しい配給制度は必要ないかもしれませんが、経済的に苦しい家庭の子どもたちに簡単な給食を提供するなど、広い意味での「配給」の制度を検討してみる意味はあるのではないか。そう考えたときに参考になるのが、ちょうど100年ほど前にオーストリアで活躍した哲学者、オットー・ノイラートです。

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