休暇の例では、彼らにとって有休は権利であり、取得が推奨されているから休む。マナーについても、合理的でない慣習には縛られない。決められたルールや制度に従って、きわめてフラットに、合理的に行動しているだけなのです。
20代前半を見たとき、こうした若者たちが全体の半分程度を占めるようになってきた、と見ています。
——こうした傾向は高校生や小中学生にも見られるのでしょうか。
若いほど強まっていると感じています。例えば、最近の小学生は「無理して学校に行かなくていい」という大人が発してきたメッセージをストレートに受け取って実行していたりしますよね。
ある日突然、わが子が「今日は行きたくない」と学校を休むので、親は「何か悩みがあるのか」と心配しますが、翌日には何事もなかったかのように登校していく。これは従来の不登校とは性質が異なります。
子どもに休んだ訳をよくよく聞くと、単に「その日行きたくなかったから休んだだけ」で、困っているとか、悩みがあるわけではなかったのかと拍子抜けするケースは珍しくありません。
「ダイバーシティネイティブ」であることも影響
——前著『先生、どうか皆の前でほめないで下さい――いい子症候群の若者たち』では、若者を「いい子」と分析していました。現代の若者とはどう違うのでしょうか。
2010年代の若者は、たとえ本心では退屈だと思っていても、上司の前では「とても勉強になるお話をありがとうございました」と笑顔で演技をする気遣いがありました。
でも、現在の20代前半の人たちを見ていると、その演技の部分が徐々に抜け落ちてきたと感じます。
彼らは無理に周囲に合わせようとはしないので、心にもないのに「明日からがんばります」と意欲のあるふりをすることはありません。もし上の世代が価値観を押し付けるようなことがあれば、「それは先輩の価値観ですよね」と心の中で冷静に切り分けます。
こうした様子を40・50代が目の当たりにすると、「自分が上司の前では絶対にできなかったことを平気でできる。なんてメンタルが強いんだ」と感じるわけですが、彼らにとってはそれが自然な姿なのです。
この背景には、彼らが「ダイバーシティネイティブ」であることも影響しています。
2010年以降に生まれたアルファ世代やその少し上の世代にとって、さまざまなルーツやバックグラウンドを持つクラスメートが隣にいるのはごく当たり前の日常風景です。
つまり、生まれた時から多様性が前提の環境で育っているため、あえてダイバーシティを意識する必要さえありません。だからこそ、国籍や外見といった表面的な違いだけでなく、「内面的なメンタルのありかたも人それぞれ違うのだ」ということをよく理解しています。
