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"奇跡の69歳"天野佳代子さん、美容も仕事も諦めなかった半生と60代の挑戦、「プロとして生きる覚悟は亡き夫に教わった」

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テレビでも話題!“奇跡の69歳”、天野佳代子さんの歩みを振り返ります(写真:『60歳の「キレイの壁」をのりこえる 撮影:彦坂栄治/まきうらオフィス』より)

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美容雑誌の編集長を経て、美容YouTuberとしても活躍中の美容ジャーナリスト・天野佳代子さん。“奇跡の69歳”としてテレビ番組でも話題ですが、美容人生の始まりは子どもの頃、女性シンガーたちの髪型やメイクを真似したことだったそう。
その後は21歳でライターデビューし、シンガーのファンクラブ会報誌制作に携わる過程で楽屋に出入りするうち、ヘアメイクの様子に関心を持っていきます。それから60代で『美的GRAND』の編集長や、YouTubeで情報発信をするようになるまで、どのような歩みがあったのでしょうか?(本記事は、天野さんの著書『60歳の「キレイの壁」をのりこえる』から一部を抜粋・再編集したものです)
【あわせて読む】若く見える人は髪が違う—"奇跡の69歳"天野佳代子さんが教える老けない髪の整え方《60代はまだまだキレイになれる》

プロとして生きることを教えてくれた亡き夫

私の亡き夫、天野滋は、NSPというフォークグループの一員でした。70年代のNSPの絶頂期に知り合い、10年ほどの交際期間を経て、私が28歳のときに結婚。私はもっと早くの結婚を望んでいたのですが、そう運ばなかったのは理由があってのことです。私が大人として出来上がっていなかったのです。

当時、私は漫画家をめざしていました。デザイン学校在学中、新人漫画賞に応募したものの、努力賞止まり。彼のつてで、出版社の漫画編集者について育成してもらえるというチャンスを得、その編集者が担当している漫画家の原稿が間に合わなかった際、穴埋めで私の漫画が雑誌に掲載されたこともありました。

しかし後が続きませんでした。才能以前に、努力を怠っていたためです。そんな甘さを彼はお見通しでした。あるとき「おまえが何かになるまで結婚はしない」と宣言されたのです。当時、ファンクラブ会報誌制作の仕事はしていましたが、彼に依存している私の様子がイヤだったのでしょう。

そんなときにたまたま見つけた光文社『JJ』の記者募集。ダメもとで応募して、まさかの合格。そこから私の本格的な仕事人生が始まりました。

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【人生の浮き沈みを経て】

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