「テクノロジーで人間の能力は衰えた」はウソだ/生成AIが迫る「何が能力なのか」の大転換

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ここで起きたのは、研究者の能力低下ではない。「どこを見るべきか」「その違いは何を意味するのか」という研究の本質と、それを記録するための周辺的技能(画力)が切り離されたのである。

キーエンスが支持された本当の理由

この変化を現代で象徴するのが、顕微鏡市場におけるキーエンスの採用の広がりである。

顕微鏡といえば、かつてはニコンやオリンパスといった伝統的な光学機器メーカーの独壇場だった。彼らは「レンズの性能」という極限を追求していた。

ところが近年、研究現場ではキーエンスの採用が広がっている。その理由は「光学性能の高さ」ではない。「誰でも使える自動化」にある。

従来の顕微鏡は、暗室にこもり、微妙なノブ操作でピントや照明を調整する熟練の技が必要だった。対してキーエンスの製品は、明るい部屋で、モニターを見ながらマウスをクリックするだけで、誰でも均質な画像が撮影できる。

評価されたのは、「がんばればすごい写真が撮れる道具」ではなく、「がんばらなくても撮れる設計」だった。ここでも、手作業の巧みさという周辺技能が剥ぎ取られ、観察と解釈という本質だけに集中できる環境が選ばれたのである。

いま、同じ構造変化が、文章作成や企画立案といった知的生産の現場で起きている。

これまでは、「考える・構成する・文章を書く・推敲する」というプロセスを、すべて1人の脳内で、手作業で完結させることが求められていた。それは、暗室で顕微鏡をのぞきながらスケッチを描くような、孤独で負荷の高い作業だった。

生成AIの登場は、このインターフェースを一変させた。思考の断片をAIに投げかけ、構造化させ、表現を試させる。私たちはモニター越しにその結果を確認し、「ここは違う」「もっとこう表現すべき」と指示を出す。

これは、顕微鏡が接眼レンズからモニターへ移行したのと同じだ。知的生産が「職人的な手作業」から「モニター越しのディレクション」へと進化したのである。

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