池の水面には、何枚もの桜の花弁が浮いていた。風に流されて水面へと落ちた花弁だ。わずかな波紋を残しながら、小さな薄桃色が水面を漂っている。絢香は頭上の満開の桜ではなく、その水面を漂う細かな桜を意味もなく眺めていた。
軽く頭を振って、水辺の畔(ほとり)を歩いて公園から街路へと出る。裏口から麺屋ムラカミへと入り、物音一つしない事務室で、臨時休業のお知らせを書いた。
──誠に勝手ながら、麺屋ムラカミはしばらく臨時休業とさせて……。
絢香の持つフェルトペンは夫の手と同じように震え、白い紙には何粒かの涙が落ちた。
*
休業から数日後、絢香はがらんとした店内で調理器具の片づけをしていた。
と、一人の中年男性が店内に入ってきて、小首を傾げていた。オープン時からの常連の、上野さんだった。同じ通り沿いの商社に勤めていて、週に何度も食べに来てくれる。最近は見かけないと思っていたが、なんでも三か月ほど出張で仙台に飛ばされていたという。
騒動を知り、肩を落とす上野さん
「商社ってのは、出張やら転勤やらがやたら多いもんでしてね。まったくこんな生活してたんじゃ、結婚もできませんよ。旦那さんは、こんな気立てのよい奥さんをつかまえて羨ましいもんですよ。で、お店はリニューアルするんですか? 席数増やすんですかね? 繁盛してましたもんねぇ」
上野さんはSNSをやっていないらしく、一連の騒動をまったく知らなかった。絢香が経緯を話すと、上野さんは肩を落とした。
「いやぁ、そんなことがあったなんて、てんで知りませんでしたよ。親父さんのラーメンが食えなくなるだなんて、残念だなぁ……。でもそのバイト連中、許せたもんじゃありませんね。民事裁判でも起こしたらどうです?」
「裁判なんてやり方がよく分かりませんし、損害賠償請求をしても、結局は支払われないなんて話も聞きますし……」
「まぁ確かに、離婚後の養育費とかも、ほとんど払われないって聞きますしねぇ……。復讐代行をしてくれる探偵でもいればいいんですがねぇ……。あ、でも聞いたことありますね。復讐を請け負ってくれる裏の探偵事務所があるとかなんとか……」




















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