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「海賊」と呼ばれた、若かりし出光佐三のエピソードを紹介します(写真:yu_photo/PIXTA)
現在、日本有数の石油元売会社として日本経済の屋台骨を支える「出光興産」。ですが、明治44年に日本石油(現・ENEOS)の特約店として出発した当初、その経営はけっして順風満帆なものではなかったといいます。
そんな「出光」を一代で大企業に育て上げた創業者・出光佐三の手腕とはどんなものだったのでしょうか。別冊宝島編集部の『出光佐三 人生と仕事の心得』から一部を抜粋・編集する形で、佐三が「海賊」と呼ばれた若かりし頃のエピソードをご紹介します。
淡路島の資産家による開業資金の提供
独立への思いを胸に、しばらくは従業員わずか3人という零細企業の酒井商会で修業を続けるつもりだった出光佐三だが、独立の機会は予想外に早く訪れることになった。
酒井商会で働き始めて2年目の明治44年(1911)3月、出張のついでに福岡に帰省した佐三は、実家の藍玉問屋が廃業し、家族が赤間の家を引き払っていたことを知ったのである。
化学染料に押されて藍染は完全な衰退産業になっており、そこに親戚の借金の肩代わりまですることになって佐三の実家は立ち行かなくなっていたのだ。
数年前から佐三の学費捻出も厳しい状態だったのだが、この時には母・千代が自らの蓄えを切り崩して仕送りを続け、佐三に心配をかけまいとしていたのである。
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【予想外の幸運が訪れる】
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