被害者から加害者に「母から虐待を受けた子」の半生 成人後も続く「負の連鎖」克服は容易ではない
全国の児童相談所が児童虐待相談として対応した件数は、増加の一途を辿っている。こども家庭庁の発表によれば、2022年度は21万9170件にのぼり、過去最多となった。
都内に住む高島満さん(35歳・仮名)も、幼少期に母から虐待を受けた一人だ。虐待の影響から不登校が常態化し、適切なケアを受けられないまま成人を迎えると、今度は恋人にDVを振るうようになる。かつて母に受けていた仕打ちを模倣するように、恋人に当たり散らす日々が続いた。
虐待の被害者から一転、加害者へーー。双方の過去を持つ高島さんに、自身の半生を振り返ってもらい、親の虐待が子どもに与える影響について考えた。
小学生のときから始まった心理的虐待
高島さんが物心ついた3歳頃から、両親は日々、夫婦喧嘩を繰り返していた。
幼い高島さんには夫婦喧嘩の明確な要因はわからなかったが、大人になってから聞くと、両親ともに発達障害を抱えていたという。
「両親ともに神経質すぎる節があり、喧嘩が発展すると、ともに『お前が悪い』と水掛け論が続きました。そのうち母がヒステリックに叫んでは、母が父に家具を投げたり、父が母に手をあげたりする。そんな光景が日常茶飯事でした。夫婦喧嘩が起こると、決まって隣室に逃げていたのを覚えています」
高島さんが4歳になった頃、両親は別居を選択する。高島さんは母に引き取られて、母方の実家に移住した。
小学校に入学した頃から、母との関係に歪みが生まれ始める。
「小学校2年生ぐらいから、母は機嫌が悪いと、ゲームをしている私が気に入らず、立たせて罵倒してくるようになりました。怒られるようなことはしていないのに、母は『私がうまくいかないのは全部お前のせいだ』と怒ってくる。
詰問は、母の気が済むまで何時間も続きました。途中で体をかいたり、おしっこに行きたいと伝えると、『ママの気持ちがわからないの?』と、母はより感情的に甲高い声で叫び散らすようになります。
ただ、ひと通り罵声を浴びせて気が済むと、今度は人格が変わったように泣いて謝ってくる。そうして豹変する母を見ると、怯える気持ちもありつつ、不憫に思う気持ちもありました。
先ほども話したように、母は発達障害でかなり神経質でした。別居後に実家で子育てをしないといけない重圧から情緒不安定になり、そのストレスを僕にぶつけてきたのだと思います」
夫婦関係や祖父母からの重圧に苦悩し、そのはけ口として高島さんを罵倒する。第三者から見れば、れっきとした心理的虐待だが、高島さんは母に罵倒されるたび自責の念に駆られていた。
児相が一時保護、そして不登校に
母もまた、高島さんに当たってしまう罪悪感に苛まれ、自分の精神が安定するまで、息子を一時的に児童相談所に預けることもあった。
当初は母からの理不尽な仕打ちに疑問を感じていた高島さんだが、罵倒が続き児童相談所に預けられるうち、自責の念に駆られていくようになる。
「児童相談所に連れて行かれる時は、母に迷惑をかけていると思いつつ、なぜ母と離れないといけないのか分からなかった。漠然とモヤモヤしていた記憶があります。
ただ、施設の職員に引き取られるときは、決まって母から見捨てられたからだと思い込み、ショックでした」
次第に、高島さんは母の機嫌を損ねないよう、過敏に気を遣う習性がついた。
「例えば、ゲームを片付けるときは何回も元の位置に戻っているか確認したり、母に触れる前に執拗に自分の手を洗ったりと、過剰に気を遣うようになりました。母と会話するときも、自分の発言が母を怒らせないか考えすぎて言葉が詰まるなど、言いたいことも言えなくなる。いわゆる強迫性障害のような兆候が出ていました。
そうした兆候は、母だけでなく、学校の同級生と接する際も現れました。からかわれるなどさまつなことを気にして、集団行動が怖くなり、家に引きこもりがちになります。毎日、夜中まで隠れてゲームをして、学校を欠席する日も増えていきました」
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