被害者から加害者に「母から虐待を受けた子」の半生 成人後も続く「負の連鎖」克服は容易ではない
学校に行かず、社会から逸脱していく高島さんを見て、母の虐待はエスカレートした。当初は罵倒だけだった心理的虐待も、叩く蹴るなどの暴行や、裸にされて詰問されるといった行為も加わっていく。
高島さんは時に、別居していた父に助けを求めにいったが、父は一時的に匿うだけだった。一緒にゲームをしたり、映画に行ったりすることはあっても、数日経つと母の元に帰るよう促された。母からの虐待を打ち明け、帰るのを渋っても、父の対応は変わらなかった。
祖父母は祖父母で、母に対して叱ることはあっても、それで虐待が止まることはなかった。むしろ母から「お前のせいで(祖父母から)怒られた」と八つ当たりされることもあった。
こうして母の虐待は過激になり、高島さんはより神経をすり減らし、学校に適応できなくなる。小学3年生には不登校に陥った。
「その頃になると、警察が介入して、病院に運ばれることもありました。例えば、母は私を学習机の足元のスペースに押し込み、包丁を持って脅し、執拗に蹴り続けてくるようになります。母自身も感情の収拾がつかず、暴力を振るっては泣いて、児童相談所かどこかに連絡していた光景を覚えています」
警察が介入した一件では、家庭裁判所の手続きを経て、母からの虐待はいったんは落ち着いたが、高島さんは不登校から抜け出せなかった。
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