被害者から加害者に「母から虐待を受けた子」の半生 成人後も続く「負の連鎖」克服は容易ではない
中学校に上がっても、高島さんの不登校は続いた。そのうち不審に感じた担任は、母に連絡しても対応が見られないことから、別居していた父方に連絡する。
そこでようやく、状況を見かねた父方の両親が、高島さんの今後をどうするか検討を始めた。結果的に、親族では高島さんの現状を改善するのは難しいと悟り、新潟県にある寮完備のフリースクールに預けることを選択する。
「これから1人で新潟県で暮らすと告げられたとき、諦めの気持ちが強かったのを覚えています。母との関係はうまくいかず、父や祖父母は自分の面倒を見る気もない、自分は不登校で集団行動もできない。当時、中学1年生ながら、現状を改善するには環境を変えるしかないと悟っていました」
中学1年生から地方で寮生活
こうして高島さんは、13歳で親元を離れた。
当初は1人で生活することに不安もあったが、すぐにそうした気持ちは薄れていった。フリースクールの生活は誰にとがめられることもなく、つねに母親の機嫌をうかがってきた高島さんにとって、開放的で気が安らぐ環境だった。
寮生活では、1日のスケジュールも決まっており、生活リズムも改善された。朝8時に起床して、午前中は学習時間に充てられ、午後は課外活動が行われた。
特に課外活動は、高島さんの楽しみだった。施設内には漫画や楽器が常備されており、高島さんはドラムの演奏に熱中した。ほかにも、近隣の農家の畑仕事を手伝ったり、老人ホームの入居者とゲートボールをしたり、鴨を狩りに行って鍋を作ることもあった。
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