ノンスタ石田が考える「面白い漫才」の"絶対条件" 笑い飯、ヨネダ2000に共通する「ベタ」のセンス

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まさに相手のボケにシンプルに突っ込むという、漫才の基本に忠実です。こうした2人の関係性が守られているうえで、「変われ!」「変われ!」ってどんどん加速していくので、見ているほうはどんどん巻き込まれて、笑ってしまう。

面白さは、やっぱり「ベタか、ベタじゃないか」ではなく、「ベタなことをどう見せるか」、いかに「くだらないこと」を「くだらないという面白さ」に昇華させるかにかかってる。笑い飯のネタを見るたびに、そう思います。

「自分でもできそうなツッコミ」の大切さ

「ベタが最強」とはいいつつも、ベタなボケとツッコミを続けているだけでは、「爆発力」に欠けてしまいます。漫才の展開で重要なのは、笑いのボルテージを徐々に上げていくことです。

誰もが瞬時に理解できるレベル1のボケから始めて、レベル2、3、4と上げていく。僕はこれをよく「クイズ番組理論」と表現します。

クイズ番組って、「自分でも答えられそうな問題」が出ると面白いですよね。

全然わからない問題ばかりでは面白くない。かといって簡単すぎても、わかったときの満足度が低くて面白くない。「あ、この人が正解出したけど、私にもわかってた!」みたいな問題が出ていると面白いわけです。

漫才も同じです。特にネタの最初のほうのボケは、「何してんねん!」とか「なんでやねん!」とか「そんなわけあるかい!」とか、お客さんでもツッコミを思いつくくらいのものだと食いつきがいい。

それをいくつか続けておいてから、ふと変な間を作ったり、少しわかりづらいボケを差し込んだりする。それまで自分でも突っ込んでいたお客さんが、一瞬、迷子になって「ん?」となったところで、少しレベルの高いツッコミを鮮やかに決める。

すると、迷子状態が瞬時に解消されてドカンとウケる、という具合です。

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