東京五輪がアッという間に終わった。コロナ禍での開催にすっきりしない部分はあったが、躍動する選手の姿に勇気をもらった。また、選手を通じて普段なじみが薄い国や世界の状況に関心を向けるきっかけになった。
8月1日には、羽田空港でベラルーシ代表の陸上選手が帰国を拒否して亡命する事件があった。幸い大きな混乱もなく早期に収束したが、亡命という映画さながらの事件が日本で起こった。
この事件でベラルーシに「欧州最後の独裁者」がいることを知った人も少なくないだろう。一連の報道ではベラルーシは自由や民主主義といった国際標準から逸脱した強権国家と強調されていた。
しかし実のところ世界では、自由や民主主義が「標準」であるとは断言できないのだ。例えば、6月に国連人権理事会で、カナダが提案した中国の人権侵害を非難する決議に賛成したのは、日本や欧米を中心とした44カ国。うちアジアの賛成国は日本のみにとどまった。逆に内政干渉を理由に中国を擁護する決議には65カ国が賛成した。この提案をした国はベラルーシだ。数のうえでは、むしろ「あちら側」が標準といっていい。
そもそも日本は他国を意識する機会が乏しい。その最大の要因は国境の遠さだろう。内陸国であれば、日本人にとっての県境のように国境が存在しており、ゲートや有刺鉄線など目に見える場合も少なくない。嫌でも他国を意識する。一方、島国の日本の国境はすべて海上にある。領海は海岸線から12カイリ(約22キロメートル)先まで続いているので、海岸から眺めても国境は見えない(近寄っても見えない)。
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