築地は筆者にとって特別な街だ。父親が聖路加国際病院の医師だったため、中央区明石町、当時の聖路加ガーデン内にあった病院社宅で育った。明石町と築地は隣町のようなもの。小学校低学年の頃は晴海通りからバスに乗り、築地は通学路でもあった。
現在の築地6丁目付近は、当時は小田原町と呼ばれ、多くの商店が軒を連ねていた。小田原町は江戸城建築に際して小田原藩の石工などが住んでいたことからついた町名で、現在も6丁目には築地署の小田原町交番がある。
本願寺の寺町として発展
築地といえば市場だが、街の中央に立つ築地本願寺を中心に寺町が形成され発展してきた街でもある。当初は現在の日本橋横山町付近にあった京都の西本願寺の別院が、明暦の大火によって焼失。その後1679年に現在の地に再建され「築地御坊」と呼ばれるようになったのが築地本願寺だ。
その後、1923年に発生した関東大震災により本堂伽藍(がらん)が焼失。34年、東京帝国大学工学部名誉教授、伊東忠太による設計で、当時としては珍しい鉄筋コンクリート、古代インド様式を取り入れた現在の本堂となった。チェコの建築家、フォイエルシュタインが手がけ前年に竣工した、洋風の塔を持つ聖路加国際病院の病棟などとともに、築地にはおしゃれでエキゾチックな街並みが形成される。
築地本願寺の大伽藍が完成した翌年、35年に誕生したのが築地卸売市場である。それまで東京の水産物市場は日本橋にあったが、関東大震災後、築地への移設が検討され開場したのだ。
広さは東京ドーム5個分に相当する23ヘクタール。水産物のほか青果、鶏肉鶏卵、漬物、水産物加工品などを取り扱い、場内600店、場外500店、青果120店、その他100店、計1300店ほどが都民の胃袋を満たしてきた。
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