有料会員登録 東洋経済オンラインとは
ライフ #人が集まる街 逃げる街

「門司港レトロ」が人気、経済・交通の要として栄えた海峡の街 門司区 [福岡県北九州市]

3分で読める 有料会員限定
  • 牧野 知弘 不動産事業プロデューサー

北九州市門司(もじ)区は九州の北端、企救(きく)半島に位置する。西側の関門海峡は本州と九州の接点、東側には周防灘(すおうなだ)がある。門司は海に囲まれた海峡の街なのである。

明治時代、国や行政機関はこの街が交通の要衝になると考えた。築港や鉄道敷設が計画的に行われ、港は筑豊炭田で産出された石炭の積み出し港として大いに栄える。1899年には市制が敷かれ、門司市となった。

門司がいかに重要な経済拠点であったかは、日本銀行の北九州支店開設からも見て取れる。日銀は門司が西日本経済の一大拠点になると考え、93年に2番目の支店として北九州支店を開設した。当時はまだ門司の市街地が整備されておらず、対岸の赤間関(あかまがせき)市(現下関市)に仮店舗を設置。5年後の98年、明治を代表する建築家・辰野金吾ら設計の壮麗な支店が開設される。屋根は半球のドーム型、側壁は花崗(かこう)岩で覆われたれんが建築だった。その後、空襲や1953年の大水害の被害を経て、支店は64年11月には現在の北九州市小倉北区に移転した。

また、戦前の門司には多くの商社、金融機関の支店が立ち並び、石炭だけでなく、セメント、砂糖、紡績などの製品輸出港として、とりわけ対中国貿易などで栄えた。

だが、戦後はそれまでの繁栄がうそのような凋落ぶりとなる。対中国貿易で栄えた門司港にとって終戦から72年の国交回復までの断絶は痛手だった。また50年代以降の石炭産業の衰退は石炭積み出し港としての地位を低下させた。63年に市制が廃止され、小倉、若松、八幡、戸畑と合わせて北九州市となるが、門司の地位は相対的に低下し続ける。

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ライフ

人気記事 HOT

※過去1ヶ月以内に配信した記事の閲覧数