2019年9月13日、ドイツロマン派を代表する音楽家クララ・シューマン(1819〜96)が生誕200年を迎える。作曲家ロベルト・シューマンの妻として夫を支え、8人の子を育てながら、天才ピアニストとしてヨーロッパ中を席巻した77年の生涯は波瀾万丈。その姿は『愛の調べ』『哀愁のトロイメライ』『クララ・シューマン 愛の協奏曲』などの映画や、宝塚歌劇団の『ミルテの花』『翼ある人々─ブラームスとクララ・シューマン─』などの舞台でも印象的に描かれている。
クララが生まれた1819年前後のヨーロッパ音楽界は、ドイツ・オーストリア圏でベートーヴェンとシューベルトが活躍する中、神童メンデルスゾーンが登場。イタリアではロッシーニのオペラが一世を風靡し、ピアノ史に燦然(さんぜん)と輝くショパンとリストが虎視眈々(こしたんたん)と世に出る準備を進めていた。
クララの夫となるシューマンや、後に続くブラームスなども含め、ロマン派を代表する作曲家たちの才能が一斉に芽吹いたこの時期は、“豊穣の時”といえそうだ。ちなみに日本は江戸時代の後期、文化文政時代。英国船が浦賀沖に現れて大騒ぎしていた頃になる。
この才能あふれる若者たちが集う群雄割拠の時代は、クラシック音楽がサロンからコンサートホールへと移行する時代でもあった。8歳でモーツァルトの協奏曲を弾きこなした天才少女クララは、順調にその才能を開花させ、今に至るリサイタルのスタイルを確立していく。その最たるものが「暗譜」での演奏だろう。
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