INDEX
小欄も知らぬ間に百回・二年を越えた。終わりに省みて、いくら歴史・学問と呼号して高論卓説のつもりでも、しょせんは書物・記録にすがった伝聞、それにもとづく机上の空論にすぎない。
昨年の秋、ノンフィクションライターの山田泰司氏と対談する機会を得て、やはりその点を思い知らされた。ずっと中国の現地でいわゆる「農民工」の定点観測に従事する氏のお話は、伝聞・空論ばかりの筆者にとって、刺戟(しげき)に溢(あふ)れていたからである。対談終わってまもなく、「上海で廃品回収をしている河南省出身の農民工の友人が、リヤカーで鉄くずと段ボールを売りにいくところに同行」した、との連絡をいただいた。これもつとに記事になっている(https://business.nikkei.com/atcl/report/15/258513/010900087/)。
ただかれら個々人のミクロな生活は、それだけでは成り立たない。マクロな構造のなかにある。前者は近づけば目に見えるのに対し、後者は見えない。しかし前者が後者を成り立たせ、後者の一部として前者がはたらいている。
都市と農村の格差の縮図
それなら空論も、あながち無用ならず。ミクロな生活に近づけない筆者には、マクロな構図を思い描いて書き殴るのが、どうやらふさわしい。
「農民工」とは日本風にひらたくいえば、農村から都市に出稼ぎにくる人々をいう。これが当局の発表で、昨年末現在、前年比1.7%増の2億8652万人。わかっているだけで3億人近くいるのだから、中国とはやはり途方もないスケールではある。
この厖大(ぼうだい)で低廉な労働力が、中国の急速な経済発展を底辺で支えてきた。その情況としくみは、すでによく知られている。都市民との所得・権利・待遇のちがい、都市と農村を分かつ特異な戸籍制度などは、さまざまな調査・書物がふれ、また批判してきたところだ。「戸籍アパルトヘイト」などと形容する向きもある。
この記事は有料会員限定です
残り 586文字
