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前回の小欄で、陽明学について書いたところ、歴史との関わりがよくわからない、とのご指摘をいただいた。たしかに舌足らず、自分でわかった気になっていても、中途半端な理解・叙述だった、と反省しきりである。今回あらためて試みるけれど、やはりうまくいっていないかもしれない。
歴史モノが多かった明代
駄文では、明代・陽明学が歴史を尊重したと述べた。しかしそれは、歴史の著述が多かったという意味ではない。むしろ低調だったというべきだろう。
明代の中国では、書物の出版がすこぶるさかんだった。歴史モノの出版も、その例にもれない。しかしそれは、オリジナルな著作ではなく、既存の書物をダイジェストしたものが多かった。歴史書の傑作『資治通鑑(しじつがん)』の縮約版がおびただしく出たのは、その典型である。手軽に歴史がわかるガイドブック的な編纂(へんさん)物だった。
ついで多かったのは「掌故」の著述。今風のジャンルでいえば、時事・同時代史・現代史である。以上を歴史書というには、やはり躊躇を禁じ得ない。
現行の学問は史上、宗教から派生した。一般的な歴史学も、キリスト教に由来する。キリスト教の世俗化によって、歴史学がいまのようなコンセプトになりえた。
中国でも類似の経過をたどっている。儒教が朱子学に至って、思辨(しべん)性の高いエリートの哲学となり、教義を第一に置く思考が定着した。宗教に近づいたわけである。聖職者ならぬ士大夫・読書人が、比類なき権威をもった。高尚難解な経典・教義を会得したエリートたちである。
『資治通鑑』もそうした経典の一種とみてよい。確かに歴史書ではある。けれども書名が示すように、統治に役立つ「鑑(かがみ)」なのであって、その意義・目的の範囲で、歴史事実を語る書物だった。エリートの体得すべき歴史哲学といったほうがよい。史実はあくまで二の次、教義に従属している。
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