INDEX
いま勤務先の授業で、明代史の概論を講じている。専門として研究に従事したことはほとんどなかった。けれども中国史・東アジア史のうち、とても重大な時代・対象であるため、自身の勉強も兼ねて、あえてとりくんだ次第である。
そんな明代の思想といえば、何といっても陽明学。儒教を代表する朱子学と並んで、日本でもおなじみである。もっとも最近は、中国学そのものへの関心が低いので、耳にしたこともない人のほうが多いかもしれない。
現代にもつながる陽明学
筆者だって、事情は大差ない。率直にいって、しばらく前まで、陽明学のことなど、ほとんど何も知らなかった。それでもここでとりあげるのは、その時代・歴史に関連が深いだけでなく、東アジアの現代的な問題にもつながると思ったからである。
陽明学に先行した朱子学は、エリートを作るための学問であった。そのため四書五経や史書の新しい読み方を考案し、それはいまも通用している。その特色は区別・差別の強調であろうか。
そもそも儒教は、人間の上下関係を是認するところから出発した教理であり、それを哲学にまで高めたのが朱子学である。そのため上下の区別をことさらに強調した。エリートは非エリートがいないと存在し得ないからである。
陽明学は朱子学をつきつめるところから生まれながら、はっきりと朱子学の経典解釈を批判した。王陽明の思想はむしろ区別・差別を否定する、逆の方向に展開したのである。継承者たちには、当時の体制教学と社会秩序を揺るがすような、過激な思想をもった者さえあらわれた。
朱子学は聖賢の道を得るには、経典とその解説書を読んで勉強しなくてはならないと説く。それには時間もお金も必要だから、誰にでもできることではない。まさにエリートと非エリートを分ける方向だった。当時のエリートはそのため「読書人」とよばれ、インテリでなくてはその資格はない。
この記事は有料会員限定です
残り 572文字
