金融庁(当時、金融監督庁)が銀行の貸出債権を検査する指針である金融検査マニュアルを私が検査部長のとき策定した。
1998年秋、銀行各行から信用リスク管理の担当者を集めて、1回目の検討会を開いた。「これぐらいのことは最低限検査しなければならない」と、厳しい意見が次々飛び出した。やはりリスク管理のプロは違うと私も感心したが、議論を基にマニュアルの素案を作ってパブリックコメントにかけたところ、銀行界で大騒ぎになった。
「マニュアルが厳しすぎる」ということだ。正面切って文句をつけにきた銀行はなかったが、次の回から銀行側は一斉に検討会のメンバーを差し替えてきた。信用リスクのプロに代わって、本社の意向に従順な企画畑の人に。彼らは口をそろえて慎重論を唱えた。「このマニュアルでは貸し渋りが起こる。修正すべきだ」。いかにも銀行らしい話だった。「わかりました、修正しましょう」と私は応じた。「金融検査マニュアルを盾に、貸し渋りしてはいけないという条項を追加しよう」と伝えると銀行側は絶句していた。
2000年7月に証券取引等監視委員会の事務局長に異動となった。これで私の役人人生は終わりか、2年ほどやって退官かと思っていたところ、着任たった1年で当時の森昭治長官に突然呼び出されて言われた。「悪いけど7月から“上の階”に戻ってくれないかな。戻せと言う人がいるんだよね」。証券取引等監視委員会(4階)の上層階には金融庁検査局があった。
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